同じころの、王の間にて。

「人でなし!!」
 甲高い男の声。やせ細った手が、他でもない僕に向かって伸ばされる。だが、あと少しというところでその見たこともない男は崩れ落ちた。近衛の兵士が構えていた銃の引き金を引いていた。
 見たこともない、ひどくみすぼらしい風体の男。こちら側の人間でないことは確かだった。命がけで王宮に、壁のこちら側に侵入してきた町の者。赤いじゅうたんの上を、赤い液体が這う。ぎょろりと大きく見開かれた男の目が、まだこちらを見ている。僕の体は凍りついたように動かない。目をそらしたくとも、瞬き をすることさえできなかった。

「早く片付けろ!」「王、念のため奥へ」「他に忍び込んだ賊がいないか調べろ!」「門兵は一体何をしていたんだ」
 大人達の声が交差する。大きな手が僕の背中を押して、無理やりその場から引き離した。

「……、あんなに痩せて」
 人でなし、と男は言った。
「あんな、ぼろぼろの服で」

 窓の外を見ろ、壁の向こう側を、見ろ
 必死な、いや、悲痛な、今にも泣き出しそうな声。頭から離れない。あの目も、あの声も、ああ、目が回りそうだ。

 女中達が心配そうに横になれだとか気持ちを楽にだとか騒いでいる。
 僕の部屋に、たった一つだけある、小さな小さな――窓。
 青い空と黒い壁。
 僕はその時初めて、あの壁の向こう側にも世界が続いているということを、僕の国が続いているということを、思い出した。

「ああ、だから」

 それがあの町の名の由縁。

「……、あの壁の向こうにも、僕の国がある」

 その町の名は、忘却の町。 紛れもない僕の王国。

 僕はその夜、初めてこの王宮を出た。そして初めて、境界までやってきた。
 そこで出会ったのが、忘れかけていた僕の婚約者だった。